2025年9月7日(日)のメッセージ
四千人に食べ物を与える
(本当の奇蹟)
「また、小さい魚が少しあったので、賛美の祈りを唱えて、それも配るようにと言われた。」
(マルコによる福音書 8章7節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)
牧師 伊藤真嗣
今日のタイトルの奇蹟(きせき)」という言葉は、より宗教的な文脈で使われ、「奇跡」は日常的な驚きや感動を表す際に使われることが多いですが、現代では「奇跡」が広く使われ「奇蹟」は「奇跡」の書き換え字(代替字)と見なされることもあります。どちらも常識では考えられない神秘的な出来事を指しますが、しかし聖書の語る「奇蹟」は神の力による出来事(miracle)に重点が置かれ、神の示しが明らかにされます。
一方で、本日の箇所で湖に救いを求めて集まった人々や弟子達のように、私達は「この状況をどうにかしてほしい」と奇跡の方を期待して、それが叶わなかったり、自分の想像と違うと「期待外れだった」と失望してしまう事があります。しかし人が救われる事は、神さまの一方的な「恵み」によるものです。信じられない者が信じる者になり、愛と憐れみの中で神さまの出来事によって変えられることが本当に多くあるのです。
愛のないところに愛を、交わりのないところに交わりを、隣人のいないところに隣人をお与えになる。それがキリストの起こされる「奇蹟」の本質なのです。神との関係に入れららる、これこそ、「本当の奇蹟」なのではないでしょうか。
2千年前、この私の罪のためにイエスさまは十字架にかかって死んでくださった、自分の力ではどうすることもできない、避けることも、変えることもできない現実の中で、そのところにこそ、その時にこそ、主の力が働き「本当の奇蹟」、イエスさまとの出会いは与えられるのです。