2025年8月31日(日)のメッセージ
聖なるものとされる
「というのは、神がお造りになったものはすべて良いものであり、感謝して受けるならば、何一つ捨てるものはないからです。 神の言葉と祈りとによって聖なるものとされるのです。」
(テモテへの手紙一 4章4-5節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)
永田乃愛神学生(中野バプテスト教会)
「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイによる福音書 18:20)
神様が与えてくださった、今日の出会いに感謝します。1年前、いのっちゃという集まりを始めました。ノンクリスチャンの人もクリスチャンの人も集まります。いのっちゃでは、お菓子と美味しい紅茶をいただきながら、自己紹介をして、ボードゲームをしてから、恋愛や仕事や友人や環境、助けてほしいと思っていることなどについて近況を話し合い、最後にそれについて分担してクリスチャンの人中心に皆で祈ります。集まった一人一人の話を聞いていると、人生は何て多様でカラフルなのだろうと感じます。それぞれの経験や生きてきた環境が、考えやことばをかたちづくって、こんなに素敵な魅力的な人になったのだと感じた時に、私は神様の大きさと素晴らしさを思い、このみことばを思い出します。わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──主のことば──「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」(エレミヤ書 29:11)洗礼の経験の如何に関わらず、友の優しさ、受け入れ合う心の中に、キリストの言葉や姿を見出すことがしばしばあります。集まった一人一人がキリストや神様に対して、どんな実感をいだいているか、全部は分かりませんが、私自身としては、かつては閉じこもった自分の心の中にキリストとの居場所を死守するようにしていたのが、友達との出会いと祈りの中で、キリストと出会う経験をいただいています。
今朝は宣教の中でいのっちゃで集まっている皆と賛美を歌わせていただきます。人生は色々ありますが、皆で話して祈る時にキリストもそこにいて、悩みを渡させてもらえる気がします。色々な経験を通してキリストの愛のあり方を教えてくださる神様、私達一人一人をよく知っているキリストが、この礼拝、賛美を喜んでくださいますように。