2025年4月27日(日)のメッセージ
復活の信仰と希望
「イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。」
(ローマの信徒への手紙 4章25節:日本聖書協会 新共同訳 新約聖書)
牧師 伊藤真嗣
パウロはロマ書で旧約聖書の「信仰の父」と呼ばれている、アブラハムの信仰を取り上げています。4章前半に、3節では「聖書には何と書いてありますか。「アブラハムは神を信じた。それが、彼の義と認められた」(3)とあります。
そして9節後半からでも、「わたしたちは言います。「アブラハムの信仰が義と認められた」のです。(9a)つまりアブラハムは神の約束を信じた。それが彼の信仰だったのだということです。「死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神を、アブラハムは信じ、その御前でわたしたちの父となったのです。」(17b)
神のこの約束を信じた事で、アブラハムは義と認められました。そして同じように私達も復活を信じることで、義と認められるとパウロは言うのです。「(このことは)わたしたちのためにも記されているのです。わたしたちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じれば、わたしたちも義と認められます」(24)神に義とされるということは神との「正しい関係」を持つと言うことです。その為には主イエスを死者の中から復活させた方を信じる信仰が求められるのです。希望がないと思える「場所」に、キリストは来てくださいました。復活後のマリアと弟子達のように、あなたの涙が拭われ神さまの希望と愛で心が満たされますように。イースターを迎えて、私たちもアブラハムの信仰に倣いたいと思います。